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第24回港北駅伝大会に参加して

第24回港北駅伝大会を振り返って

                      窓口スタッフ 青木正司

駅伝大会に参加した選手の皆様、そして応援にかけ付けて来て下さった皆様、「駅伝大会!」日本のそして世界の心を繋いだ大切な事が一つ見えてきました。

友情・信頼・熱い行動。

日本では有名な競技場を思い切り走って本当に嬉しい汗をかきましたね、又来年楽しい思い出を作りましょう。

今回参加したチームは3チーム、記録については皆さん楽しく走れたから省略しようと思いましたが報告させて頂きます。

        カラスチーム・1時間46分41秒 (48チーム中45位)

        ツバメチーム・1時間4749秒  (48チーム中47位)

        すずめチーム・2時間3337秒  (14チーム中14位)

全員見事な完走です、ナイスランでした。

最後に今回ラウンジ窓口スタッフよりお世話役のひとりとして皆様のお手伝いをさせていただき有り難うございました。

駅伝は日本の宝なのです!

以下は、実際に走った外国人のみなさんの感想文です(敢えて手を加えず、原文のママ掲載いたしました)。

心暖まる  新年の思い>                    申  東柱 (韓国)

新しい太陽の温もりが感じられた 2009年 1月11日横浜日産スタジアム。2002年 韓日ワールドカップサッカー大会が開かれた歴史の一現場。 「いつの日か日産スタジアムのグラウンドに足を踏み入れてみたい」 という私の夢。

11月のある日、港北国際交流ラウンジで「日産スタジアムで駅伝大会がある」と聞いた。あのグラウンドの中に入れるチャンスがきた。  

「憧れのスタジアム!私の夢!」 新しい年を迎えるにあたって、夢や希望を持って日産スタジアムグラウンドに第一歩を踏み出そうという私の期待を満たすのには 十分だった。 

私は何も躊躇することなく、この駅伝に港北ラウンジの選手と して参加する事を決めた。

昨年3月、私は慶応大学大学院の研究員として、韓国から家族とともに来る事となった。当然の事ながら、その後日産スタジアムに行く機会を得た。

日本のサッカーの英雄と呼ばれる中田英寿。 彼の起こした財団は、世界のサッカー界の前、現役スター選手たちと日本を代表する選手たちとの親善試合をする事である。

サッカーマニアである私は日産スタジアムに集まったイタリア・イングランドサッカーリーグで活躍しているスター選手たちのみごとなプレーに楽しんでいた。

して感じ、サッカーがやりたい!

あらゆる過去の記憶を思い浮かべながら、日産スタジアムに到着した。

私は「からすチーム(港北国際交流ラウンジのチームの名称)」の第一走者で 4KMを走らなければならないのだが、 「4KM!,本当に短い距離!」と思った。

2003年と 2004年、マラソンに夢中になっていた時、一週間に平均 100KMほど走り、猛練習をしていた私。当時何回も42.195KMのフルマラソンを完走していたので、私にとって 4KMは全く問題ではなかったはずだった。

いよいよ スタート前。第一走者はスタジアム内のトラックに集まった。出発の合図とともにトラックを一周し、その後 スタジアムの周りをゴール地点を目指して、あまり長くない 「旅路」についた。.

ところが どうした事か!

1KMほどの距離を走ってみたところで先頭グループが見えない。

「追い越さなければ...」と思う気持が先に出て、スピードを上げ 早く走り出したが、ますます遠くなっていく先頭グループ。

2Kほど走ったが、しかし先頭グループは全然見えない。

そして私は「フルマラソンのリズムの要領で競走に挑んだことで失敗したのだろう.」と反省した。

すると、私の足ではなく、私の両腕の力が抜け始めた。と同時に辛い感じがし始めた。

しかし、日産スタジアムに向かっていく途中で赤い法被を着たラウンジの顔なじみの先生たちが申さん、だいじょうぶ!。ガンバレ!と叫んでいた。 

聞こえた! その応援を聞き、「もうちょっと力を出さなくてはならない」と思い、最後の力を振り絞って走った。

日産スタジアムのトラックに立ち戻った瞬間, マラソンゴールイン地点に向かう選手の感激する心ではなく、責任感が私を押さえ付けた。

第一走者である私が遅くなったせいで 2番走者, 3番走者...とつながっていくチームの仲間に良く ない影響を与えたということを悟った瞬間だった。

ゴールインの最終記録は見たくなかった、恥ずかしい結果が明らかになるはずだから。

しかし気持ちだけはとても爽やかだった。

長期間 マラソンもしくはマラソン練習をしなかったという現実に加え、近年 徐々に増えてきた喫煙量の事などを考え合わせると、完走出来たことに限っては私にとって大きな意味をもっており、あまり悪くはないと思った。

この日のための準備に関わったラウンジの関係者、ラウンジで出会った中国・ベトナム・アメリカ・ブラジルなどから来た人々、私の祖国の男性などと言葉を交わしながら辛く そして楽しい一日を思い出した。

「もう少し若い時に、この多くの人々に会っていたら...」と思った。

2か月後 私は一年間の大学院研究員を終えて韓国に帰る。しかし、この日接したラウンジの仲間、港北区の住民たちとともに参加した駅伝大会。準備から当日までの全てに関わったラウンジの先生、及びラウンジスタッフの皆さんたちの暖かい心は、私の中に長く長く残っていくだろう。

2009_jan11_marathon_nissan_stadium_皆さん!おつかれさまでした。そしてありがとうございました。

来年の駅伝大会にもう一度呼んでください!その時は 4KMではなく、是非1人で21KMを走り抜ける事が出来るでしょうし、完走したいから!. 

寒い中での駅伝                                 謝 友蘭(中国)

「テレビで見たマラソンや駅伝の選手がゴールする華々しい姿に憧れ、一度 私もその ような走り方で走ってみたい」と長い年月の間、このような夢を持ち続けていました。その夢が年明けの1月11日、厳しい寒さの中で実現出来ました。

普段 全く運動をしていない私は、最後までは走りきれるか とても不安でした。駅伝の申し込みをした時点では、恥ずかしくないように少しジョギングでもしようと思いました。

その日 買い物に行く時、自転車ではなく徒歩で行く事にしました。重い荷物を抱えスーパーから自宅まで10分位歩きましたが、息が切れそうでへとへとになりました。結局、何の練習もしないで、走る日がやってきました。

真っ赤な太陽がポカポカと地面を照らしていたが、身を切るような冷たい風が吹いて 震える身体に言葉で言える事が出来ない熱い気持ちが心の中にわき上がってきました。

関係者の誘導で、ついに夢の場所に立ち、そして熱い歓声の中 走り出しました。

が、300メートルほど走った時点で足が棒のようになってきて、その上 冷たい空気を吸い込んだせいか胸のあたりが苦しくて、思った通りに走れませんでした。

「こんないい歳なのに高校生と一緒に走るなんて、本当に馬鹿だね!もう、走れない!止めよう!」と躊躇している時、「頑張って!」と寒い中で応援してくれる先生達の声が耳に入ってきました。

「次の選手が私の渡すバトンを待っているのだ!そう、自分の夢はあきらめてもいいが、他の人の夢は壊してはいけない!」と思い、全身の力を振り絞ってゴールまで走りきりました。

後になって振り返ってみると、みんなの応援のお陰で私が最後まで走った事は、夢のような出来事でした。もし、あの時止める事はとても簡単なことですが、私の昔からの夢をもう一度やり直すのは難しいでしょう!「人は最後の最後まで夢を諦めてはいけない!」という事に気が付きました。

それから、私達 外国人は日本人の世界に飛び込んでいく事は難しいので、このような外国人にも飛び込み 交われるような活動をもっと計画してほしいです.....ね。

今回の「港北区駅伝大会」は楽しく、有意義な時を過ごす事が出来、ラウンジのボランティアの先生方に感謝してます。

本当に有難う御座いました。

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