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「ツルネンさんの多文化交流体験」のお話を聞いて

 平成21年2月28日(土)、交流企画部会のウイークデー・プログラムのイベントとして、参議院議員ツルネン・マルテイ(弦念 丸呈)さんの講演会がありました。パワーポイントでの映像を使用して、ツルネンさんの人生観・日本観や、フィンランドと日本の比較を詳しく聞きました。

 その内容については、情報広報部会発行の「そよ風」に紹介されますので、この講演会の企画者として、何故ツルネンさんと知り合ったか、また、私自身何回もフィンランドを訪問していますので、私のフィンランドへの思いを少し述べてみたいと思います。

 65歳でサラリーマン生活を引退した私は、朝日カルチャーセンターというところで、約2年半、「外国人に日本語を教える」という講座に通いました。終了した時に、本当に偶然のチャンスで、フィンランドと海を隔てて隣国のエストニアという国で、3年間、日本語を教えることになりました。ヨーロッパの各国は日本語の学習者が沢山いますし、日本文化の研究も盛んです。ヨーロッパ日本語教師会という、ロシアやトルコも含めて23か国の国の日本語教師の連絡会があり、私も当然入会していました。毎年1回、各国が持ち回りで、総会とシンポジウムを開いています。毎回、100名近くの先生方が参加されます。従って自然と多くの先生方と仲良くなりました。

 フィンランド工科大学日本語科のJ先生は、奥さまがフィンランド人で、生活の根拠はヘルシンキですが、長野県松本近くに自宅があり、毎年夏休みが始まる6月中頃にはご夫人と帰国されます。私たちは松本近辺の温泉のある民宿に宿をとって、J夫妻をおよびし、一緒に温泉に入ったり、山菜料理を楽しんだりするのが行事となっています。

 昨年6月帰国された時、J先生が「私が最初にフィンランド語を習ったのはツルネンさんです」といわれたのです。ツルネンさんは神奈川県湯河原に住み、日本人に帰化され、湯河原町会議員から参議院議員になった「変なな外人」として、記憶にありました。

 「ラウンジでまだフィンランドに関する講演会をしたことがないので、ツルネンさんにお願いできるだろうか」と彼に聞くと、「丁度、8月に彼は議員団を連れてフィンランドに来る。私がその案内役を務めることになっているから、頼んでおこう」と、話はトントンと進みました。

 9月に入って、ツルネンさんの秘書から、21年2月28日なら空いているとメールが入りました。私は早速アポイントをとって永田町の議員会館に面会に行きました。ツルネンさんは作務衣姿に議員バッジをつけて、ニコニコと迎えて戴きました。彼はすでにわがホームページを詳しく見ていて、こちらが説明するまでもなかったのですが、ボランティアだけで運営していることに興味を持たれたようでした。まぁ、こちらも彼のHPを見たり、アマゾンで彼の著書『日本人になりたい』(祥伝社ノンブック)を購入し、読んでいましたので、彼の得意の分野や略歴は承知していました。


 ツルネンさんは講演の中で「北カレルヤ」地方出身と言われました。流石にラウンジという場所柄と、自分の今の身分を考えて、一言も発言されませんでしたが、第2次世界大戦の時に、旧ソ連によって「フィンランドの心の故郷」といわれるカレルヤ地方が領土とされてしまうのです。当時、ヒットラーのドイツと、共産主義のソ連は水と油と思われていたのですが、1939年突如として、モロトフ・リッペントロップ秘密協定といわれる条約を結び、ポーランドはドイツ、フィンランド、バルト三国はソ連と勝手に決めて、侵略を開始したのです。

バルト三国はソ連に対抗する力がなかったので、降伏して、傀儡政府を作らされました。フィンランドには1939年11月30日、ソ連軍が侵攻、フィンランド人は果敢にも戦いました。ソ連は3週間くらいで勝利すると思っていたのですが、3が月経っても抵抗は止みません。

当時の国際連盟はソ連の侵入を国際法違反として、12月14日に除名処分としましたが、ソ連は侵略を止めず、遂に40年3月に両者平和条約を結びました。その時平和条約の条件として、カレルヤ地方の大部分とフィンランド湾内の4島をソ連に譲渡せざるを得ないことになりました。

 今のフィンランドとロシアの国境の地図を見て下さい。ロシア領の中に「カレルヤ共和国」というのが見られます。そこが割譲された地方です。そこに住んでいた42万人余りのフィンランド人が、家を失い他の町々に移住しました。ツルネンさんのご家族もそのような目に遭われたか、聞きたかったのですが遠慮しました。

 更に理不尽なことがあります。ソ連の侵略を受けた時のフィンランド大統領リュティはソ連から「A級戦争犯罪人」に指定され、禁固刑10年を言い渡されたのです。もう一つ、実はフィンランドは戦後、ドイツや日本と同じく国際連合では「敵国」に指定されているのです。つまりソ連は英米らと同じ反枢軸側であり、その反枢軸国と戦ったフィンランドは「敵国」扱いなのです。
*「枢軸」とは日・独・伊及びそれらとの友好関係諸国の同盟を指す。

 フィンランドは戦後、苦しい経済情勢を乗り越えて、ご承知のような復興を遂げ、世界有数のIT国、最近では世界トップの教育国になった次第です。フィンランドが自国と同じような環境にあった日本にも同情的で、親日国であることは理解できると思います。

 この講演会が終わって数日後、ラウンジのボランティアのある人から、フィンランドの有名な作曲家ジャン・シベリウス作曲「フィンランディア」(1899)に関する資料を戴きました。この曲が帝政ロシア時代に演奏禁止にされていたこともよく知られています。

 この曲の最後の部分は1941年に、詩人ヴェイッコ・A・コスケンニエミよって歌詞が付けられ、国家「我らの大地」に次いでよく歌われる歌です。その一部を書きましょう。

おお、立ち上がれ、フィンランドよ、高く掲げよ
偉大な記憶の冠が飾るおまえの頭を
おお、立ち上がれ、フィンランドよ、おまえは世界に示した
他国への隷属を追いやったことを
そしておまえが抑圧に屈しなかったことを
おまえの朝が明ける

山本 英二
(交流企画部会ボランティア)


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